第24回 「マーラの10年」が煌めいて
猫も杓子もマーラーの長大かつ大編成の交響曲を演奏し、録音していたのである。とくに、LPよりも長時間収録が可能なCDが普及し、買い換え需要でレコード業界が潤い、バブル景気で演奏会のスポンサーも簡単に見つかった80年代後半のマーラー・ブームは、本当に凄いものだった。
何人もの指揮者が全集の完成を目指してレコーディングし、外来のオーケストラもこぞってマーラーを演奏した。
その総仕上げ、頂点ともいうべき事件は、1990年11月の2週間に集中して行なわれたシノーポリ&フィルハーモニア管弦楽団と、同じ月からの1年間で断続的に行なわれた、ベルティーニ&ケルン放送交響楽団とによる、2つのマーラー全曲チクルスだった。外来のオーケストラがこんな手間と金をかけてもおつりが来るくらい、当時のマーラー熱は凄かったのである。
シノーポリとベルティーニ、それに(日本での実演の回数は少なかったが)テンシュテットを加えた3人が、この「マーラーの10年」を象徴する指揮者たちだった。
言ってしまえば、彼らはマーラーを演奏するために指揮者になった人たちであり、そのことを自らの芸術的使命とし、またそうすることを、周囲から望まれた音楽家だった(ちょうど、「ブルックナーの10年」におけるヴァントのように)。
彼らは「マーラーの10年」において、水を得た魚のように躍動し、輝いた。そしてその後は、ただ衰えゆくだけの光を虚しく追うがごとき歳月を生きて、死んでいった。その栄光はひたすらに「マーラーの10年」の日々にのみあった。 1987年、「マーラーの10年」にシノーポリが指揮する、交響曲第6番《悲劇的》。過ぎし日の煌きを、そこに聴こう。
山崎浩太郎(やまざきこうたろう)
1963生まれ。「レコード芸術」を始め、音楽雑誌、CDのライナーなどで活躍中。クラシックの演奏史の中に現代を位置づける活動を行っている。最近特に海外盤に目立ついわゆる「ヒストリカルもの」(放送局のライブ音源をCD化したものやSPやLPの時代の録音のCD化)には滅法強い。
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